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陶眞窯 – 沖縄の“やちむん”工房を訪ねて

壺屋焼・陶眞窯

素朴なフォルムに華やかな模様が施された「壺屋焼」。

沖縄の“やちむん”が生まれる工房〈陶眞窯〉を訪ねました。

自然豊かな沖縄の風土と、そこに住まう島人のおおらかさを体現したような“やちむん”は、どんな場所で、どんな人によって、どのようにして作られているのだろうか?

今回、読谷村に工房を構える〈陶眞窯〉を訪ねました。「常に新しいものを」を合言葉に日々生み出される、日常に華を添えるうつわの魅力に迫ります。

 

用と美を結ぶ

壺屋焼

沖縄で作られる伝統的なうつわ“やちむん”。これはもともと“焼き物”を意味する方言で、その代表格として愛されるのが「壺屋焼」(つぼややき)です。

良質な沖縄の土が生み出す力強さと、ぽってりとした素朴さが同居したフォルム。豊かな沖縄の自然から着想を得た、大胆かつ伸びやかな絵付けが特徴です。

釉薬を使用しない「荒焼」(あらやち)と、釉薬や白土で多彩な紋様や装飾を施す「上焼」(じょうやち)の二種類に大別されるが、現在では「上焼」が主流とされています。

300年以上前琉球王朝をあげて、各地から腕のいい陶工や窯場を壺屋地域(現・那覇市内)に集め、陶器産業の発展を図ったのが「壺屋焼」の起源。

中東やアジアなど、海を越えてさまざまな国々と盛んな交易を繰り広げた琉球王朝の「壺屋焼」は、本土の工芸品とは異なり海外の文化から多角的に影響を受けています。

長い歴史の中で、幾度も衰退の危機に直面しながら、それを乗り越え受け継がれてきた「壺屋焼」は、食卓を優しく彩る用と美を結ぶうつわとして、現在でも多くの人々に愛されています。

 

“やちむん”の里

読谷村

伝統を継承しながら「壺屋焼」を作り続ける〈陶眞窯〉(とうしんがま)を訪ねるべく、沖縄本島中部に位置する読谷村(よみたんそん)に向かいました。

「村」としての人口は日本一を誇り、人々の活気と南国特有の原風景が共存する自然豊かな読谷村。

「壺屋焼」の窯元は、かつてその多くが現在の那覇市内に集まっていたが、1970年代にはいると環境問題から薪を使う登窯の使用が禁止となり、多くの窯元がガス窯への転換を余儀なくされました。

文化衰退の危機に多くの陶工たちは、昔ながらの登り窯で作陶できる読谷村へと移り住み、現在では60を超える窯元がこの地に集まっています。読谷村は現代における「“やちむん”の里」として、今なお歩みを進めています。

 

 

〈陶眞窯〉を訪ねて

数多ある「壺屋焼」を扱う窯元の中でも、とりわけ多くの生産量を誇り、40年以上にわたり暮らしに寄り添ううつわ作りに取り組む〈陶眞窯〉を訪ねました。

鮮やかな色づかいと独特の模様が歴史の存在感を放ちつつ、現代の食風景にもすんなりと馴染む〈陶眞窯〉のうつわ。

日々創意工夫を凝らしながら、ものづくりに真摯に向き合う陶工たちの姿が、そこにはありました。

キャリア30年、大ベテランの背中。小さい茶碗などなら、一日に200個は成形するという技巧に脱帽だ。

工場長、相馬大作氏。自らも轆轤を引きながら、窯の二代目として工房全体の指揮をとる。

 

合言葉は

「常に新しいものを」

1975年、窯主の相馬正和氏によってに恩納村(おんなそん)に開かれた〈陶眞窯〉。元々は本土の料理人であった同氏は、沖縄のやちむんに魅せられ〈育陶園〉の故高江洲育男氏に師事。

築窯後、読谷村に工房を移した現在でも、継承した「壺屋焼」の伝統技法を重んじながら「常に新しいものを」を合言葉に、生活のうつわたちを世に送り出しています。

正和氏の長男であり、現工場長の相馬大作氏曰く、窯主は「好奇心の塊」だといいます。

例えば泡盛の酒造メーカーから、瓶の制作依頼が来た時も「できません」とは言いませんでした。前例が無くとも、失敗をしても、何ごとにも果敢に挑戦し、成功を積み上げてきました。

そんな彼の、好奇心や「人々の期待を超えたい」という心意気は、やがて〈陶眞窯〉全体の礎となり、そこで働く陶工たちへと継承されていきました。

〈陶眞窯〉が言う「新しいことへの挑戦」とは、新商品を生むことに留まりません。時代とともに変わってゆく生活様式と需要に応えるべく、通信販売やクラウドファンディング、積極的なSNS活用など、インターネットを駆使した運営を導入してきました。

陶芸体験やカフェの併設など、工房に足を運んでくれる人々と密に交流することで、培ってきた伝統技術を「どう伝えるか」にも向き合います。

新しいやり方が今は受け入れられなくても、50年後には由緒正しき伝統のあり方になっているかもしれない。

「プライドだけ持っていても食っていけない」工場長の大作氏の言葉には、「壺屋焼」を後世へと繋げる、文化の担い手としての気骨を感じました。

轆轤場。多様なうつわを作るため、サイズによって使用される道具が決められている。

工房内では一人ひとりが自分の持ち場に真摯に向き合う。心地よい緊張感が漂う。

轆轤場で出た削りカスは、集めて水や泥と混ぜて再利用する。

限りある資源を無駄にしないという気持ちが根付いている。

 

〈陶眞窯〉の

“やちむん”

〈陶眞窯〉が作陶する「上焼」の原土には、沖縄県中北部から取り寄せたものが使用されます。

沖縄の赤土をベースに、火の温度に耐えられるように様々な土がブレンドされています。赤土はそのまま焼き上げると暗い色になるため、絵付をする前に、温かみのあるオフホワイトに仕上がるよう白土で化粧を施しています。

職人の手で一つひとつ描かれる模様は、「壺屋焼」にとって最大の特徴と言える。繁栄を願い描き続けられてきた伝統的な唐草模様や、デイゴ、ブーゲンビリアなど沖縄を代表する植物が大胆に描かれています。

「壺屋焼」の定番模様に加えて、独自の魚紋、鮮やかな赤絵や染付け、立体的に文様を盛り上げる「イッチン」など、〈陶眞窯〉ならではの繊細な装飾は、見ていてため息が出るほど美しいです。

サンゴからできた消石灰と籾殻を3日間に渡り焼成後、「具志頭白土」と白化粧土を加えた「壺屋焼」伝統の透明釉「シルグスイ」をはじめ、〈陶眞窯〉で使われる釉薬は10種類ほど。土同様、焼き上げる作品によって釉薬も使い分けられます。

灯油、ガス、電気、薪。焼くうつわに合わせて窯を使い分けるのも〈陶眞窯〉ならでは。登り窯のみを使用する窯元が、年に2~4回窯焼するのに比べて、〈陶眞窯〉では週に2回。無駄なく合理的に多くのうつわが作られていきます。

その日その日の気温や湿度など、作陶はお天道様との関わりが密接。

作品によって使い分けられる釉薬は10種類ほど。

施す絵付けに合わせ白化粧を塗る。作品の出来が左右され、かつスピードが勝負の重要な作業。

「壺屋焼」を象徴する絵付の工程。繊細さを保ちながらも、素早く描けるよう工夫された模様が生み出されている。

 

協働から生み出される

「美」

〈陶眞窯〉では約10人の職人たちによる、全作業の完全分業制を徹底。たたら、轆轤、絵付、釉薬がけ、窯焼き、それぞれの工程に、それぞれの技術を極めた職人がついています。

10年の修行を経てやっと一人前を名乗れるこの世界。ベテランたちは未来の陶工たちに技術を託し、見習いたちはその背中を見て学びます。

工房内には、職人一人ひとりが自身の仕事と真摯に向き合う、心地よい緊張感が満ちていました。

品質に一切妥協することなく、より早い作陶サイクルを実現する姿に、窯主の正和氏が思う工芸の本来の姿「他力道」を見ました。

「民藝運動の父」柳宗悦が唱えた「他力道」とは、工芸が決して一人の力では成り立たず、土や火など自然に由来する「材料」、先人たちが長きに渡り培ってきた技の「伝統」、そして人々が協力しながら一つの作品を生み出す「協働」があり、その全てが作用して生み出される「美」だという考え方。

沖縄の言葉で「良いものがうまれますように」を意味する祈りの言葉「ウマラシミソウレ」。窯に火を入れる際に職人たちが口にするこの言葉には、自然への賛美、先人たちへの畏敬の念、作り手への感謝の想いが込められています。

うつわに祈りを託し、人に委ね、人へ向け。〈陶眞窯〉では今日も“やちむん”が作られています。

 

透明釉をむらなく均一に塗布する。まるで儀式のような、凛とした雰囲気が張り詰める。

窯焼きの際、段の高さを調節し支柱の役割となる道具「ツク」。

〈陶眞窯〉では重ね焼きはしない。

仕上がりにムラの出ないよう5mm単位で調整を重ねながら、緻密に配置されるうつわたち。

祈りを込めて「ウマラシミソウレ」。

 

陶眞窯 / TOUSINGAMA

Address_沖縄県中頭郡読谷村座喜味2898-4

Website_tousingama.com   < https://tousingama.com/ >

Instagram_@potterycafegunjotousingama   < https://www.instagram.com/potterycafegunjotousingama/ >

 

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